地域
雑感。
某企画の土台を作らなきゃならなくて、ブログなんて書いている場合でもないんですが、こう、なんつーか、降りてこないんすよね、アイデアが。頭が疲れてるんだと思います。
そんなときは、喫茶店で新聞読むに限ります。
明日、解散らしいですね、国会。引っ張った割には(引っ張りすぎたのか)いざその時となると世間には間延びした空気が漂っている気がします。それはさておき。で、新聞の全国紙を見ると、政局含めてほとんどが大人が主役の記事です。
一方、4月から南城市の広報誌制作の仕事を頂いてるんですが、8月号の「なんじょう日記」という市内の出来事を扱う紙面、記事タイトルの18件中9件が子どもが主役。ボツになった記事も合わせると、子どもネタのどれほど多いことか。
子どもをネタにすれば受けがいいという事実はありますが(汗)、やっぱり沖縄県民は子どもが好きなんだと思います。先日、久高島に行ったときも同じことを感じました。
学力最低と言えども、平均所得最低と言えども、子どもが元気なだけでも十分に希望があると思ったりもするのでした。
我、ドレッシングにならん。
いいカフェに、いいドレッシング。
主役じゃないけれど、ドレッシングがまずいとカフェ経営の致命傷になりかねない、と私は考えたりします。かと言って主張しすぎも禁物。あくまで主役はサラダ。素材の味を引き立てつつ、お口の中に彩りを添える。そんな難しい役回り、ドレッシング。
地域おこしもきっと同じ。
主役はあくまで地域や地域住民。今のご時世、ストイックになることは難しいけれど、我、ドレッシングにならん。
掃除。
長い間、ブログを休むと、改めて書き始めようとするときに、はたと手が止まってしまいます。
自転車と同じで、走っている間はぐんぐん進むけれど、止まってしまうと漕ぎだすのにパワーがいる。いま、ちょうどそんな状態。
前の行から悩むこと10分。
なんだかネタの重複になってるみたいで嫌だけど、この前取材に行った糸数公民館での話題を。
新しい公民館の落成祝いで「掃除サーブー」という余興がありました。この集落の伝統なのだそうだけど、あらゆるお祝いの前にこの「掃除サーブー」をやるんだとか。「お祝いでもなんでも、掃除をしないと始まらない」というのが理由なんだそうです。
掃除、という言葉には美徳や美学を感じます。
金はないけど暇はあるので掃除する、とか。
金はあるけど人に頼まずに自分で掃除する、とか。
そんな人はどちらも素敵だと思います。常に身の回りを掃き清めておく、ということは、なんだか人生を大切にしているような気がするのです。
うちの母なんて、気がつけば、食事作ってるか、茶碗洗ってるか、植込みの手入れしてるか、掃除してるかのどっちかです。働きものっす。孫が遊びに来るからって言って掃除するし、孫が帰った後も散らかったのを掃除するし。そんな母の姿勢は、家族を大切にしているように見えます。
掃除サーブーの精神もきっと、地域を大切にしてる証なのでしょう。
かく言う私はあまり掃除をしません。。。今度、家のトイレ掃除を自ら進んで買って出ようかと考えています。
地域情報発信の方法論
なにもWebサイトを作るだけが情報発信ではない。
旧来のマスメディアはWebメディアの台頭に危機感を覚え、情報に飢えている。なので、情報をマスメディアが取り上げやすい形にアレンジして発信するのもまたひとつの手だ。ニュースリリースさえすれば、テレビが新聞が勝手に取り上げてくれて広告費ゼロの情報発信ができる。
以前、地域ブランディングの講習会で取り上げられていた例は「久留米やきとり学会」。
久留米をB級グルメの聖地として、「やきとり」+「学会」というアンマッチングなキーワードをくっつけて話題性を高めている。
僕がふと思ったのが、ようやく可決された「定額給付金」。例えば、これを沖縄県内で一番最初に南城市が給付すれば、地元メディア各社はこぞってその模様を報道するのではないだろうか。
「なにをするにも腰が重い」といったイメージが付きまとう沖縄県内の行政。そんな中でも「住民のためなら即行動」という姿勢をアピールできれば、他市町村からは際立ち、そこに住みたいと思う人も増えるのではないかと思うのです。
地域と人材育成
地域活性の議論の中で、地域から都市圏への人材の流出がよく問題視されます。いろんな地域でここ数年、人材をいかに留めさせるか、またはUターンさせるかという議論が多いような気がします。
「結局は仕事があるかどうかだよね」
「小さい頃から地域の伝統文化に触れさせるべきだよね」
などなど、いろんな要素があってどれも正論だと思います。
そんな議論を聴いていて、私が思ったことは、もっとベースにあるもの、つまり「その地域でその人がいかに愛されたか」が大切なのでは? ということでした。
「地域を愛せ」と押し付けるのではなく、親が、地域社会が、その人の幼児期や青春時代に十分な愛情を注いであげる。そうすれば、その人もいつか地域に戻って恩返しをするはずなのでは? と思います。
少なくとも、良い思い出のない故郷に、だれが戻りたいと思うでしょうか。
地域活性化と遊技場
「音楽によるまちづくり、地域の活性化」をコンセプトに、結構な予算をかけてつくられた大型商業施設です。各種テナントが入っているほか、ライブホールも備えています。
個人的な感想を述べると、計画段階から今現在に至るまで、いまだに「音楽によるまちづくり」というイメージが湧かない私であります。と、まあ、その点はさておき。
この施設に、ゲームセンターが入居するという話が持ち上がり、市と施設管理側で対立が起きているのだそう。
ミュージックタウン、ゲームセンター入居で対立 - 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-138710-storytopic-5.html
ただ、あえて冷めたような目で見れば、ライブスペース以外のテナントに入っている他の業者さんも、音楽と関係のないものが多いような気がするので、そもそも最初からコンセプトが崩れかけていたのではないかと思うのですが、実際はどうなのでしょうか。
そこに付け入るように、こういう話が持ち上がっても仕方がないような気がするのです。
もちろん、コザは基地の街として、ロックを初めとした音楽文化が発展し、伝統の音楽とミックスチャーされながら数々の才能あるアーティストを輩出してきた場所ですので、それをテーマとしてまちづくりを行なうことは素晴らしいことだと思います。
ただ、地域活性化はそうした歴史的・文化的経緯を忘れてしまいがちなのが落とし穴。コンセプトの文脈を形骸化し、収益主義に走りすぎると、その事業は根無し草のようにいずれ空中分解するような気がするのです。コンセプトを組み上げたあとは、どれだけそれにこだわれるかが肝だと思うのです。
いま、沖縄のみならず、全国的に観光振興を目的とした「カジノ導入」を目指す自治体が増えています。はたして、この日本そして沖縄にカジノの文脈があったのでしょうか。沖縄の観光産業は、「歴史・文化・自然の資源を活かした観光」を標榜していながら、他方では「これはまた別の話」とでも言わんばかりにカジノ建設の検討会が行なわれているのが現状です。
私個人としましては、せめて南城市にはカジノはもちろん、パチスロやゲーセンすらも入ってきてほしくないと思っております。言い過ぎかもしれませんが、斎場御嶽と同じコミュニティーに遊技場があって欲しくない、という感情的な意見ですが。
西も東も、海か砂漠。
琉球列島はおよそ北緯20度から30度の範囲にあります。この帯を西へ東へ延ばして見ていくと。
中国南部、ネパール、インド、パキスタン、イラン、サウジアラビア、エジプト、リビア、アルジェリア。。
サハラ砂漠に代表されるような乾燥地帯が広がっています。同じ緯度なのに、沖縄は緑と水に溢れているのです。これはヒマラヤの山々と黒潮によって温暖湿潤な気候が保たれているのだそうです。
なんという奇跡!
これは文化財ガイド育成講座で、「自然」の講座で教わりました。地域への狭い視野では気づかなかったことです。
この奇跡によって、琉球列島にはそこにしか生息しない固有種が多いのだそう。そんな奇跡の島に住んでいることに感謝し、同じ島に住む生物達とも仲良く暮らしていかねばと心に誓うのでした。
皆さんも、ご自分がお住まいの地域を地球の視点で眺めてみては。
文化財
10月ももう終わりですねー。今月から南城市の「文化財ガイド養成講座」というものに参加しています。南城市には思いのほか城(グスク)や御嶽(ウタキ)や樋川(ヒージャー)・川(カー)が多く集中してるんですね。座学から現地実習まで南城市のことのみならず沖縄の歴史も勉強になるので結構楽しんでいます。
こういう文化財を学ぶにつれ、その根底にある人々の高い精神性に頭が下がる思いです。そこにはあらゆるものへの感謝が込められています。
例えば、水。この沖縄で水は貴重な生活の資源。樋川や川の歴史を勉強すると、人々がいかに大切に、そして賢く水とつきあってきたかが分かります。水を利用するにあたって複数の間切(村みたいなもの)の間で憲章のようなものを締結して争いごとを防いだとのことです。
例えば、食。南城市には沖縄での米の発祥である受水走水(ウキンジュハインジュ)・知念御川(チネンウッカー)や麦の発祥である久高島を擁しています。琉球国王は隔年毎に米の初穂、麦の初穂の感謝の祈りを神に捧げる為に現在の南城市一帯を巡礼したのだそうです。これを東御廻り(アガリウマーイ)と言います。
例えば、自然。多くの御嶽は自然の森に包まれています。特にユネスコ世界遺産に登録されている斎場御嶽(セイファーウタキ)の荘厳な雰囲気はあの貴重な森が作り出していると言えます。斎場御嶽の森や、玉城の薮薩の浦原(ヤブサツノウラバル)などの地域はセジ高い(聖なる)場所だとして、人々はその一帯をむやみに開発するのを避けてきたのだそうです。
また、ヤハラヅカサという、沖縄を作ったアマミキヨという女神が降り立った場所も南城市内にあります。人の始まりでもあり、国の始まりでもあるということから琉球国王が東御廻りで参拝した場所のひとつです。国王はきっと、生命の発祥を尊び、子孫繁栄を願い感謝したのではないのでしょうか。
水、食、自然、生命。ひとつの地域の文化財から見えてくるこれらのキーワードは、現代社会において大きな問題をはらんでいるキーワードでもあることに気づかされます。これらを尊び感謝するという姿勢からは、様々なことを教えられます。私たちは話し合うことを怠けてむやみに資源を奪い合ってはいないだろうか。何かを食するとき想像力を働かせてひとつひとつの食材に感謝しているだろうか。森の乱開発が広がり、差別や貧困など生命の尊厳を傷つけるような状況が世界には依然として繰り広げられています。
文化財ガイド養成講座の中で初めて知ったのですが、斎場御嶽がユネスコ世界遺産に登録された認定理由の中にこんな一文があります。
琉球地方では、各推薦資産において、自然崇拝的な信仰思想に基づく各種の宗教儀礼や祝祭が今日でも盛んに行なわれており、市民の生活や精神の中に資産が活用され、文化として生き続けている。
この一文を読んだときに、胸がいっぱいになりました。そういうことなんだなぁ、と。つまり、古来より行なわれてきたものが現在も行なわれていることに、ユネスコは価値を認めたのです。これはオジイやオバア、それよりもっと前の先人達に感謝せずにはいられないでしょう? まさに財産です。
転じて未来に目を向けると、私たちが文化財を守り先人達から引き継ぐことで、結果として水、食、自然、生命を守ることにもつながるのではないかと思うのです。そう考えると、文化財に今も息づくその精神性は、世界中の人々が未来を生き抜くヒントにもなるんじゃないかとも思えてくるのです。
地域で生きること
私なんて地域おこしに目覚めてから2年やそこらの若輩者です。けれど、地域の中にはずっと以前より地域おこしや地元を地盤に地道に活動なさってきた方も多くいらっしゃるわけです。
そのような方々と常々お話しさせて頂いて思うのは、もちろんそのまっすぐな気持ちなどに感服させられるわけですが、長年地域を想ってきたが故の激しいジレンマも感じるのです。
例えばがんばってその村の知名度やブランド力を上げるのに努力してきた最中、降って湧いてきたような平成の大合併。合併により新しい市町村名になるわけです。きっと今までの努力は何だったのかという憤りもあったのではないでしょうか。
そりゃあ、例えば「比嘉さんと城間さんは財政難なので明日からひとつの家に住もうね。あ、それから名前は武田さんに変えましょうね」なんて普通は納得できるもんじゃありません。比嘉さんと城間さんだってこれまでに大なり小なりなんらかの軋轢もあったでしょうし。
とまあ、市町村合併で新市が未来に向けて希望が溢れているかと言うと、私としてはそう希望を持っているわけですが、さすがにそれだけではなくて簡単ではないってことをつくづく思うのであります。
とは言え、私としても若輩者なら若輩者なりの違ったものの見方もできるかも知れないわけで。なにができるだろうと考える日々であります。とりあえずはじっくり時間をかけて分かり合えるよう会話を重ねる、という、人も街も同じことなのかもしれません。
歴史、深し。
沖縄の歴史というのは、残存する書物が少ないせいか、ずいぶんと謎が多いようです。
ふとしたきっかけで友人と沖縄の歴史について話をすることがあったのですが、尚氏王統時代の話をしていても、いつのまにか古事記時代の話をしているかのような錯覚を覚えます。そのくらい、推測の話しかできないのです。ま、私たちが勉強不足だったというのもあるのですが。逆に言えば、想像がどこまでも膨らんで「楽しい」。
中でも聞得大君(きこえおおきみ)関連の話が面白かったです。
聞得大君とは、国の安泰などを祈る神女の最高位。王の親類関係の女性が就任したのだそうです。もともと沖縄には女性が祈りによって男性を守るという信仰があったようで、聞得大君は、琉球国王を頂点とする政治の機構とは別の、神女組織の頂点に位置する女性でした。
ここで話題になったのが、なぜ第一尚氏からではなく第二尚氏時代から聞得大君の位が制定されたのか、ということでした。聞得大君の就任儀式である「御新下り」や王とともに聖地を巡礼する「東御廻り」は、第一尚氏の故郷でもある本島南部の東海岸を巡るものです。第二尚氏はなぜわざわざ先の政権の株をあげるようなことをしたのか、という疑問がその友人からあがりました。
私としては、南城市を含む本島南部の東海岸は、琉球開闢の神であるアマミキヨ伝説が多く残る場所であり、久高島を象徴とする日昇の東方信仰が当然の理由だと思っていたのですが、まあ、深読みしすぎるとそういう疑問もあるなぁ、と面白く聞いていました。
その友人曰く、日本本土においても、新しい政権ができたときに前政権を完全に滅ぼすようなことは少ないらしく、古くは近畿の出雲が九州の大和に支配されたときも、大和政権は出雲に社をたてて敬ったのだとか。沖縄もこのような例なのではないか、とのことでした。
それとは別にしても、国民の精神的な統一を図りたかった狙いはあったかもしれませんね。政治と統治は別にあったほうが都合がよいらしいです。つまり、日本でも政治を担う政権と、国民の精神的統一を担う天皇とで、長い間別々に存続して来たことからも、琉球国王も聞得大君を置くことで国民の統一を図りたかったのかもしれません。
歴史をひも解いて想像力を働かせていくと、国の成り立ちというものが学校で習ったものとはまた違った角度から見えてきます。