こころ

音楽。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

新年の海を見たいと思って「浜辺の茶屋」へ。年末からずっと風邪をひいているのにも関わらず、なんだかそんなに寒くもないので外の木陰の席へ。ちょうど満ち潮の時間のようで。海の音、風の音を聞きながらホットのカフェオレ(そういえば最近50円値上げ!)をすする。

浜茶のおやじさんは新年早々も投網。結構お魚が採れたみたい。ぽつりと一言。「波が変だなぁ」。どうやらインドネシアの地震の余波がここにも来ているらしいです。素人の僕には穏やかな海にしか見えないのだけれど、言われてみれば波の形が複雑な気がしました。

こんな小さな南城の小さな海も、世界とつながっている。震源地の皆さんの大変さを頭では分かっていながら、そんなのんきなことを言っていられる。そう思うと、心の中が複雑になって(そう、その波のように)、そんなときはなにか楽器が弾けたらなぁと思うのです。

なにか楽器を小脇に抱えて、ポロロンと弾きながら歌をうたいたくなるのです。

それはどちらかというと、誰かに聴いてほしいと言うよりも、ずっと内向的な欲求。自分の中の複雑な波を穏やかにしたいため。か、もしくはその逆。波をもっと荒立てたいのかも。

名作と言われる音楽(のみならず文学も絵画も)は、内向的なものが多いような気がします。自分の心の中のなにがしかと対話するような、そんな作品。その内向的な震源地のエネルギーが、仕方なしに、否応なく、外側へ波紋し、結果として表現となるような、そんな感じ。

音楽が世界を救ったことがあるだろうか。音楽が戦争を停めたことがあるだろうか。しかし少なくとも、音楽は人ひとりひとりの人生をどこかのタイミングで救っているような、そんな気がします。

音楽がある、この地球に、感謝。

KY

若者言葉の代表的なもので「KY」という言葉があります(とは言っても、KY語を使っている若者をあまり見たことがないです)。「空気を読めていない」人や状況に対して使う言葉です。言われていい気分のする言葉ではないということは確かです。

私も好きな言葉ではありません。私自身、その場の空気を気にしすぎる性格で、それでもなお、場の空気を壊してしまう発言をしてしまうような人間だったりします。KYという言葉が嫌いなのは多分相応の自己嫌悪が含まれているのだと思います。

ただ、どうにもこうにも、社会の中で「KYだ」と言い合う状況が、社会全体をネガティブに陥れている感があります。その場に淀んでいる「空気」ばかりに気を使い相手を牽制し合う状況というのは決して好ましくありません。

私たちはその場の「空気」を読むよりも、未来から吹いてくる「風」に気を使うべきなのでは。

強烈に吹き付け否応にも私たちを巻き込む風には果敢に対処する必要があるでしょうし、気がつかないほどの弱い風にも五感をフルに働かせてしっかりとそのメッセージをキャッチするべきだと私は思います。

先日、ジャーナリストの筑紫哲也さんがお亡くなりになりました。とかく周りの空気を気にしすぎて体制的になりやすいこの国に対し、彼は常に少数派であることを恐れてはならないことを訴えていました。そして彼自身、社会の空気に流されることなく、現実を見据えた「論」を堂々と提示してきました。

彼のように、「空気が読めてない」などという批判をさせないくらいの筋の通った力強い意見を述べられる人間になりたいものだと思うのです。が、それはまた多くの経験と知識を積まなければならないということなのでしょう。

文化財

10月ももう終わりですねー。今月から南城市の「文化財ガイド養成講座」というものに参加しています。南城市には思いのほか城(グスク)御嶽(ウタキ)や樋川(ヒージャー)・川(カー)が多く集中してるんですね。座学から現地実習まで南城市のことのみならず沖縄の歴史も勉強になるので結構楽しんでいます。

こういう文化財を学ぶにつれ、その根底にある人々の高い精神性に頭が下がる思いです。そこにはあらゆるものへの感謝が込められています。

例えば、。この沖縄で水は貴重な生活の資源。樋川や川の歴史を勉強すると、人々がいかに大切に、そして賢く水とつきあってきたかが分かります。水を利用するにあたって複数の間切(村みたいなもの)の間で憲章のようなものを締結して争いごとを防いだとのことです。

例えば、。南城市には沖縄での米の発祥である受水走水(ウキンジュハインジュ)・知念御川(チネンウッカー)や麦の発祥である久高島を擁しています。琉球国王は隔年毎に米の初穂、麦の初穂の感謝の祈りを神に捧げる為に現在の南城市一帯を巡礼したのだそうです。これを東御廻り(アガリウマーイ)と言います。

例えば、自然。多くの御嶽は自然の森に包まれています。特にユネスコ世界遺産に登録されている斎場御嶽(セイファーウタキ)の荘厳な雰囲気はあの貴重な森が作り出していると言えます。斎場御嶽の森や、玉城の薮薩の浦原(ヤブサツノウラバル)などの地域はセジ高い(聖なる)場所だとして、人々はその一帯をむやみに開発するのを避けてきたのだそうです。

また、ヤハラヅカサという、沖縄を作ったアマミキヨという女神が降り立った場所も南城市内にあります。人の始まりでもあり、国の始まりでもあるということから琉球国王が東御廻りで参拝した場所のひとつです。国王はきっと、生命の発祥を尊び、子孫繁栄を願い感謝したのではないのでしょうか。

水、食、自然、生命。ひとつの地域の文化財から見えてくるこれらのキーワードは、現代社会において大きな問題をはらんでいるキーワードでもあることに気づかされます。これらを尊び感謝するという姿勢からは、様々なことを教えられます。私たちは話し合うことを怠けてむやみに資源を奪い合ってはいないだろうか。何かを食するとき想像力を働かせてひとつひとつの食材に感謝しているだろうか。森の乱開発が広がり、差別や貧困など生命の尊厳を傷つけるような状況が世界には依然として繰り広げられています。

文化財ガイド養成講座の中で初めて知ったのですが、斎場御嶽がユネスコ世界遺産に登録された認定理由の中にこんな一文があります。

琉球地方では、各推薦資産において、自然崇拝的な信仰思想に基づく各種の宗教儀礼や祝祭が今日でも盛んに行なわれており、市民の生活や精神の中に資産が活用され、文化として生き続けている。

この一文を読んだときに、胸がいっぱいになりました。そういうことなんだなぁ、と。つまり、古来より行なわれてきたものが現在も行なわれていることに、ユネスコは価値を認めたのです。これはオジイやオバア、それよりもっと前の先人達に感謝せずにはいられないでしょう? まさに財産です。

転じて未来に目を向けると、私たちが文化財を守り先人達から引き継ぐことで、結果として水、食、自然、生命を守ることにもつながるのではないかと思うのです。そう考えると、文化財に今も息づくその精神性は、世界中の人々が未来を生き抜くヒントにもなるんじゃないかとも思えてくるのです。

未来を託す

「今の日本の子どもは。。。」

この後に続く言葉。皆さんはどのような言葉を綴るでしょうか。

「夢がない」「希望がない」

そんな否定的な言葉が真っ先に思いついてしまう、というのが実情ではないでしょうか。実際、私もそう考えてしまいがちです。しかし、当然のことながら当の子どもたちには何の罪もありません。

随分前のテレビ番組ですが、アマゾンでの石油開発に伴う貧困格差のことを放映していました。石油の採掘を受け入れた村と拒否した村。受け入れた村は雇用が生まれ電気も電化製品も揃った現代的な家に住み、拒否した村は昔ながらの生活様式のまま。とは言っても、拒否した村は近隣の村と格差が生まれたことで、村の中でも軋轢が生じ、ディレンマに陥っているとのこと。

その貧しい村がなけなしのお金を何に使っているかと言うと、教育。村長さんがこうおっしゃっていました。「私たちには教育が足りない。生き残る為には教育が必要だ。子どもたちに未来を託す」と。それを受けた子どもたちも、医者やエンジニアになって村を助けたいと目を輝かす。大人たちが子どもを頼りにする社会。そして頼られた子どもたちが頼もしく育つ社会。

高度経済成長を突き進んで来た日本。それが成熟し停滞してきた今日、ふと振り返ってみると、大人たちは子どもたちに未来を託してきたのだろうか、と。充実した教育施設や教育制度を作り上げてきたのも事実なら、未来に借金を作りながら公共事業を繰り返してきたのも事実。「おらが世代が日本を作ったる」みたいな自意識が強すぎた気がしないでも。。

子どもたちに希望や未来がないのではなく、大人が子どもたちにそれらを託していないのではないでしょうか。

世界を変える

3年前、私の世界に対する考え方を変えた本があります。

「世界を変えるお金の使い方」山本良一、Think the Earth Project 著(ダイヤモンド社)

100円からできる世界を変える方法が掲載されています。

お金と聞くと、いろんな人がいろんな考えを抱くものでしょう。「唯一絶対のものだ!」という人もいれば、「世界を陥れる汚れたものだ!」と嘆く人もいるでしょう。

けれど本書は、お金に対する、中立で理想的な見解を与えてくれました。同時に、世界にはなすべきことが山と積まれているということも。世界は決して平和ではなく、不均衡の上に今の日本の豊かさがあるということも。

例えば、世界の軍事費の4日分は1兆2000億円。それだけのお金があれば、世界中の子どもたちが1年間の初等教育を受けられるのだそうです。また、100円分のワクチンで、ミャンマーの5人の子どもを感染症から守ることもできます。

現代の先進諸国では、「お金を得る」「お金を払う」という行為のごく一面しか見えにくくなっているのではないでしょうか。私もそんな一人でした。それは、誰かを蹴落としてまで儲けたり、加速する欲望のままに消費したり、また、心身の健康を脅威にさらしてまで働く、そんなことだったりします。

誰かの為に働き、誰かの為にお金を使う。そんなシンプルな考え方も、本来のお金のあり方なのではないでしょうか。お金だけでなく「ありがとう」という言葉だっていいと思います。世界的でなく、小さな地域の中でだっていいと思います。誰かが喜ぶ顔こそが、社会に接して行く目標だと私は思っています。もし、世界の現状が笑顔に溢れていないのであれば、それは世界を変えることだと思います。きれいごとでしょうか(笑)。

いま、Googleが「世界を変える」アイデアを募集しているのだそうです。世界のできるだけ多くの人の役に立ち,生活を向上させるアイデアの上位20に資金を提供するとのこと。皆さんもこれを機に「世界を変える」ことを想像してみて応募してみては。私は、英語ができないので。。。(泣。

Googleが「世界を変える」アイデアを募集,資金提供で実現をサポート

言葉を得る

いまこの空の色を表現せよ、と言われたら、その手段としてあなたは何を選ぶでしょうか。絵を描き始める人はもちろんいるでしょう。写真を撮る人もいるかと思います。こころの中に湧いて出た「思い」や「感覚」は、自分の中にだけあるのものです。それをどうアウトプットするか、どうプレゼンテーションするかは時や状況や人によってそれぞれです。

私の場合はきっと言葉文章)を選びます。

中学生の頃は歌詞を創作したりもしました。だけどその当時は、だいたいがその時に流行った歌の詩を真似たようなものばかりです。人を愛したこともないくせに「愛してる」だなんて言葉を使ってみたり。いま思えばコッパズカシくも微笑ましいw。でも数をこなすうち、自分の思っていることを素直に表現した詩もいくつか出るようになってきたような気がします。

高校や大学になると、短編小説を書くようになり、いくつか賞も頂くようになりました。その頃から、自分の思いや考えを自覚的に文章に表現できるようになったように思えます。また、自分の気持ちにフィットするような、腑に落ちるような文章を書けたときに、ある種の快感を覚えるようになりました。

社会人になると、計画書や企画書など、論理的な文書を書くことが多くなりましたが、それまでの文章を書いて来た積み重ねはとても役に立っているように思えます。「それっぽく見える」ような浮ついた文章ではなく、「本当のところ」を文書としてまとめるよう心がけています。

つい最近のNHK「クローズアップ現代」で、「コピペ」の問題が取り上げられていました。大学生や官公庁でのレポートに、インターネット上の文章をそのままコピーしているものが多くなっているということでした。

解説の茂木健一郎さんもおっしゃっていましたが、特に大学生にとっては大変「もったいないこと」だと思えます。自分が思考し、絞り出すように考えを言葉に移していくという作業は、大変ですがこれを訓練しないと「自分の言葉」は得られないように思えます。

現代は言ってみれば「文書社会」です。文書で考えを共有し、決済します。もし官公庁の中に、自分の思いや物事の本質が見えないまま、借り物の言葉を使って国を動かしているようなことがあれば、とても危険なことなのではないかと思います。

でもまあ、そうでなくても、こうしてブログを書いたり、企画書をクライアントに提案する際に、自分の言葉で相手にうまく伝わった時はうれしいものです。いろんな場面で不自由を感じなくて済むように思えます。ただ、私の場合、その場でリアルタイムに声にして応対するのは苦手。日々精進っす。

電車こども

2005年10月04日の日記より。

関内で小学生が二人乗ってきた。僕の向かいの席に、二人並んで座る。しかし二人ともお互いに関心はなく、知り合いではない様子。

ひとりは、こちらから見てもレンズ越しの彼の目が湾曲するほど度の強い眼鏡をかけて、おかっぱ頭で、黒い半ズボン、白いワイシャツ。「博士」と名付けよう。

もうひとりは、なにかスポーツ種目のユニフォーム(たぶんサッカー)、ハーフパンツ、浅黒く、短髪、いまどきの小学生。君は「サッカー少年」ね。

僕の耳にはiPodからMr.Childrenの新曲が流れている。
夜の10時前。きっと二人とも学習塾からの帰りだろう。僕は学習塾というものに通ったことがないのだが、こんなにも帰りが遅いものなのか。感心。

博士は500mlペットボトルに付いているオマケを、その袋から取り出そうとしている。すごく、不器用。眼鏡の奥の目を爛々とさせながら、ぼんやりと開いた下唇をテカテカとさせながら、必死こいて袋を開けようとしている。

サッカー少年は、ひとしきり電光掲示板のニュースに目をやったあと、ショルダーバッグから、カードの束が整理されたフォルダを手際よく取り出し、サクサクッと一枚一枚流し見。

ああ、それにしても。

博士は将来本当に博士になって、髪型よりも数式を気にするような人で、タキシードよりも白衣のほうが似合う人で、でも、知らずのうちにノーベル賞なんてとってフラッシュライトを浴びながらいつの間にか似合うようになったタキシードでレッドカーペットの上を、だけど髪はぼさぼさのまま揚々と歩くかも知れない。

それとも。

自分が何をやりたいのか分からないまま、日本一の大学にストレートで入った途端、10代にして自分の人生に疑問を持って、疑問を持ちながらも何か自分のなかの壁を壊すことができずに、中くらいの会社に入って課長になっているかも知れない。

サッカー少年は将来本当にサッカー選手になって、若いうちは三度の飯はやっぱり好きだけどそれと同じくらいサッカーが好きで、10代のうちに単身ブラジルに渡り、ニッポンに帰ってからは余裕の実力でJリーグのスターになり、ヨーロッパあたりのリーグでも成功して、豪邸と美女、知らずのうちにニッポンに会社を作って経営を誰かに任せているかもしれない。

それとも。

サッカーも好きだけど高校の時にできた彼女もそれ以上に好きで、二人してファミレスで勉強とは名ばかりのくだらなくもキラキラしたおしゃべりをして、そうこうしてるうちに彼は彼女と別々の大学に進学して自然に別れ、自然に別の恋をたくさんし、彼は東証2部上場の商社に入ってバリバリ働き、そこで出会った女性と社内結婚して子どもは二人、平凡でも暖かい家庭を築くかも知れない。

上大岡で、彼らは電車を降りた。博士は晴れてオマケの袋を開けられ、なぜか少しオマケの車のフィギュアをクンクンと嗅いだあと、意気揚々と電車を降りた。サッカー少年は駅に着いた途端、これまた手際よくパタンパタンとフォルダを閉じバッグに放り入れさっさと電車を降りた。

君たちゃ、今の時代に生まれて幸せかい? なんて野暮なこときく、おれ今月27歳です。耳元で桜井和寿が「僕らはどこへでも行ける」と歌った。「跳べ!」とも言った。

頑張れよ、少年たち。おれの趣味の悪くてありきたりな君たちの未来予想図なんて飛び越えるんだぞ。おれも頑張るっす。

っぽさ

以前に「らしさ」という記事を書きました。ふと、「らしさ」の反対は「っぽさ」だな、と思い当たったのです。

例えば、オシャレをして友人と会ったとき、その友人から「その服、〜っぽいね」と言われるのと、「あなたらしいね」と言われるのとでは、どちらがうれしいでしょうか。この場合は人それぞれだと思います。

けれど「ものづくり」をしてらっしゃる方の多くは自分の作品に対して「あなたらしいね」と言われる方がうれしがるかも知れません。自分の作品を作っている人にとっては、オリジナリティという言葉が常に頭の中にあるのだと思います。おそらく、誰かの真似をしていると見られるだけで屈辱なのかもしれません。

しかしながら、今の世の中、本当の意味でのオリジナルを作り出す、というのはとても難しいことのように思えます。むしろ、現代に生み出されるものはすべて過去に生み出されたもののRemixだ、と言い切ったほうが、すべてのつじつまが合うような気さえしますし、なにより楽な気がします。本当の意味でのクリエイト(創造)よりも、エディット(編集)のほうがより現代的なやり方である気もします。

もちろん、何かの真似をしたり、Remixだったり、編集だったり、という制作の技法や過程を否定はできません。それらはあってしかるべき手法です。私もWebサイトをつくる時は、同業種などの他サイトをベンチマークにして新しいサイトを構築していきます。そこはもうわりきってますw。

だけど忘れてならないのは、今自分が作り出すものの本質、またはクライアントの本質をしっかり観察し、「らしさ」を理解してものづくりにあたるということ、だと思います。そうすれば、技法や過程はなにかの真似でも、アウトプットは「っぽい」を超えて「らしい」ものになるのではないかと思うのです。

さて、世の中、あたりを見渡せばどこかで見たことがあるような「っぽい」ものが溢れています。それに流されて自分自身もなにか「っぽい」ものでいいや、そんなあきらめに飲み込まれてしまいそうにもなります。だけどせめて「人」だけは。「あなた」だけは。「わたし」だけは。人らしさ、あなたらしさ、わたしらしさとは何かを常に心に問いかけながら生きていきたいと思うのでした。

方言と、母親の話し方。

沖縄を離れ、5年とちょっと本土で生活したあと沖縄に戻って来て以来、少し気になることがあります。沖縄の人の、とりわけ女性の「話し方」です。

沖縄にはウチナーグチと言われる沖縄方言が存在します。言葉はもちろん、訛(なまり)も特有なものがあります。オジィやオバァの話す純粋なウチナーグチは、とても美しく感じますし、聞いていてほっとします。何を言っているかわからないですけどね。

今の若い人(と言っても、オジィやオバァと比べて)は、純粋なウチナーグチを喋れる人はそう多くはいません。多くは、80年代に沖縄文化を見直す若い世代の潮流からはじまったウチナーヤマトグチ(またはヤマトウチナーグチ)と呼ばれる喋り方です。その内容はというと、一部の単語だけが方言で、あとのほとんどは標準語だったりします。その特有の訛も含めて、古くからの方言とはまた別の方言として息づいているように思います。

私が沖縄に帰って来てからの「違和感」は、ただ標準語に耳がなれてしまっただけなのだろうと思っていました。けど、最近、それだけの理由ではない様な気がしています。

ウチナーヤマトグチを否定する気はありません。少しでも、地元の言葉や訛に親しむという意味で、とても大切な潮流だと思います。私の違和感は、細かく見ていくとそれ以外の部分。とりわけ、若いお母さんの子どもに対する喋り方なんです。

「えー! お前よ! ○○すんな! さっさと歩け!」

たぶん、方言とかいう問題ではなくて、ただ乱暴なんだと思います。母親らしさだとか、女性らしさが言葉に伴っていないと思うのです。もしこういう喋り方を、「沖縄の喋り方」などと思っているのであれば、それは大きな過ちだと思います。

子どもには親が授けた名前があるはずです。「お前」と呼ぶのはあまりにもその子の存在を乱暴に扱っている気がします。そして、母親が子どもに話しかける語尾は「〜ね」が基本だと思うのです(私の思い込み?!)。子どもは親の部下ではなく、命令される存在ではないと思います。

かくいう私は、子どもがいませんので、そんな偉そうなことは言えませんが、少なくとも元・子どもの立場から言わせて頂くと、方言であれ標準語であれ、親は親の品格を持って正しく優しい言葉で育てて欲しいと思うのです。

「方言は大切だ。慣れ親しみ、守っていかなければならない」

それはもちろんそうです。しかし、その大義名分を隠れ蓑にして、「正しい言葉」を使う努力を怠ってはいけない、そう思います。

100年

こぼれ落ちる汗は 大地を潤し
名前のない この野道に 花を咲かせるだろう
- GANGA ZUMBA 「足跡のない道」

8月19日付の琉球新報朝刊に、ブラジル・アルゼンチン移民100年の特集記事の中で、南城市の方のインタビューが掲載されていました。51年前に、お姉さんがアルゼンチンへ嫁いだとのこと。親の決めた縁組みだったそうです。移民100周年を機に、アルゼンチンの地を訪れ、お姉さんとの再会を楽しみにしている、という記事でした。

南城市では大里地域からの移民が最も多く、1935年にはブラジルに481人、アルゼンチンに164人、戦後も1985年までにブラジルへ551人の方が渡ったのだそうです。

その日の朝、その新聞の記事を読んでいると、テレビに宮沢和史さん(THE BOOM, GANGA ZUMBAのボーカリスト)が出演されいて、100年前に最初の移民船・笠戸丸でブラジルに渡った最後の生存者の女性の言葉を紹介していました。

「とにかく、私はよく働きました」

100年と言う、遠いようで身近な歴史。戦争、差別、過酷な労働。移民された方々のご苦労と言うのは、きっと私の想像を遥かに超えていると思います。

自分の意志とは違う方向に進まなければならないことも、人生あるのだと思います。それでも、故郷を想いながら、汗を流し、よく働き、自分の人生は良いものだったと、そう思いながら歩んで来た道を眺められれば、それだけで素晴らしいと思うのでした。