アパシーからシンパシーへ

2009/9/22 火曜日 | こころ, 地域, 社会

今読んでいる本で「アパシー」という言葉を初めて知りました。冷淡、無関心、無感動、無気力、しらけ等の意味があるようです。

本書「コミュニティ・カフェと市民育ち」(萌文社)では、現在の地域コミュニティの諸問題は、市民の地域に対する無関心、「アパシー問題」がもたらしていると説明しています。

「面倒くさい」「そんなことに構っていられる時間はない」「だれかがなんとかしてくれるだろう」「そういうのは行政がやるべきだ」

地域に横たわる問題に対して、誰もが一度は感じたことのある言葉ではないでしょうか。

思えば、国と地方が抱える膨大な借金は、この一人ひとりの小さな「アパシー」の積み重ねであったとも言えるかもしれません(もちろん、ごく一部の既得権益層によるものもあるかもしれません)。

例えば福祉に関して。

かつては隣近所がお互いを気にし合い、気遣い合って、子どもを預かったり、お年寄りの世話をしたりという、コミュニティの力が存在したのだそうで。今でもお葬式のときは地域の青年会等が様々な役回りを買って出たりする地域もあるようですが、放っておけばそれもいつまで続くか、という状況です。

今では地域コミュニティの崩壊を補うかのように、子育てや介護の分野を事業者が、その多くは行政の補助を受けて担っています。つまりお金が必要になってきたということです。

そこへ来て、聖域なき構造改革の名の下に福祉への予算が削られたと。

あれだけの借金を抱えていたのでは、予算の規模縮小は仕方ないことだとは思いますが、政府は手順をひとつ飛ばしてしまったのではないかと私は思います。まずは地域コミュニティを再生させるべきだったのではないかと。

「困った時はお互いさま」といった感覚を市民が取り戻し、お金に頼らずに、地域の福祉を市民自らの力で支えていける状態にすることが先決だったのではないかと思うのです。

そういったことをふまえて(だと思いますが)、南城市では地域福祉計画なるものの策定を目指して市民ワークショップを開いています(詳しくはこちら)。

ともあれ、アパシーからシンパシー(同情、共感、共鳴、賛成)へ、市民の意識を変えて行くことが大切です。行政は予算の問題と同時に、地域社会の仕組みや根深い内面的な問題もあわせて議論すべきだと思います。

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